【メルマガ試し読み】論理的根性論

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(なお、執筆者の科類や学年は執筆時点でのものとなります。)
皆さんこんにちは!理学部生物化学科3年のM.Sです!
理系の大学三年生として濃密な時間を過ごしている近頃、私は改めてやる気というものの重要性を実感しています。やることの多さに翻弄されながらも日々を乗り切ること、そして漫然と日々を過ごすのではなく実りのあるものにすることのために、当たり前ではありますが、やる気を持たなければと改めて自分に言い聞かせています。
きっと、これを読んでいる皆さんにも同じことが言えるのではないでしょうか。高校生活を充実したものにするために大切なことはたくさんあるでしょうが、結局それを実行するにはやる気が不可欠でしょう。
とは言え、そのようなことは当たり前すぎて改めてそうであると認識して自分に言い聞かせるのは難しいでしょう(ちょうど最近までの私がそうであったように。)。また、「今更根性論に頼るのかよ?」という至極真っ当な声も想像に難くないです。かく言う私も高校時代は一丁前に「より良く生きるには?」とか「生きる意味って?」のようなことを身の程知らずにも考えていた生意気な人間でしたから、当時の私に聞かせたら拍子抜けさせてしまいそうです。
そこで、どうせなら思い切って理詰めの路線に振り切って根性論について考えてみましょう。具体的には、
・「やる気」を、「やるべきことに前向きに取り組む心持ち」として定義し、 ・「より充実した人生を実現するには、やる気が必要である。」という命題について 考えていきます。
「やる気が必要だ!」だなんて、まさに典型的な根性論ですが、あえて理詰めで考えていきましょう。
さて、まず「より充実した人生」とは何でしょう。きっと尋ねる人の数だけ答えがあるのではないでしょうか。 「誰かの役に立つ人生」「世界で活躍する人生」などのように素晴らしい自己実現を思い描く人もいれば、「好きなことをとことん追求する人生」「愛する人と永く一緒にいる人生」のように身近な充足を静かに願う人もいるでしょう。あるいは「いつもの帰り道に美味しいアイスを買える人生」「広い家で猫と暮らす人生」などのように具体的な状態を思い浮かべる人もいるでしょうか。 何にせよ、「より」という言葉が頭についている以上、思い描く理想は、今よりも何かしら自分が進歩した状態、あるいは今自分にない何かを得た状態というのが前提となるでしょう。 「誰かの役に立つ人生」という例であれば、「何かしらの方法で他者に良い影響をもたらせるようになった状態」、「好きなことをとことん追求する人生」であれば「好きなことを今よりも深く享受している状態」、「いつもの帰り道に美味しいアイスを買える人生」であれば「普通の日にアイスを買って帰れる経済的・精神的余裕のある状態」が「前提」といったところでしょうか。 いずれにしても、今よりも進歩した状態や今は達成できていない状態が前提に隠れているでしょう。
すると、もとの命題はそのような「今の自分には到達できていない状態」を実現するためにやる気が必要であるという内容に言い換えられます。
そのようなポジティブな変化を実現するためには、自己の進歩が必要なことは認めて良いでしょう。「自己の進歩」としては、具体的な能力面の進歩も、抽象的な内面の進歩も含まれます。
そのような進歩のためには、多かれ少なかれ何かしらの努力は求められることでしょう。かつ、そのような努力には、それをすると決めた時点で何らかのコストが伴います。
「いやそんなことないよ!私は行きたい大学に行くために必要な勉強をコストだなんて思ってはいないし、毎日楽しく学校に通って勉強しているよ?」という人もいるかもしれません。 しかしながら、あまりにも当たり前すぎて見逃しているかもしれませんがそのような人も過去の選択の結果として「学校に通って勉強する」という行動をしているのであり、それをしている時点で(しない選択をしていれば消費するはずのなかった)時間や労力を割いているのは紛れもない事実です。 穿った言い方をすれば、学校に行く選択をやめれば今まで当たり前に使ってきた授業や通学などの時間が急に自由な時間になるでしょう(学校に行かない選択肢を否定する意図は一切ありません。「行きたい大学に行く」ための努力の一例として学校に通うことを挙げているに過ぎません。)。
ここまでの議論を少しまとめます。より充実した人生を送るための前提となる状態に至るまでの努力には、
・「より充実した人生」という究極的なモチベーション と ・その努力に伴うコスト
という、モチベーションとコストの両方が存在します。コストがあるということを言い換えれば「多かれ少なかれ努力をやめるだけの理由もある」とも言えるでしょう(修学の例では現実的な想像が難しいかもしれませんが、例えばアイスの例で言えば「アイスを買うためにお金を費やすことをやめる」という判断もあるよね?ということです。)。 つまり、「より充実した人生を実現する」ための努力は、そのモチベーションとコストとを天秤にかけ、モチベーションに重きが置かれたことで実行されていると言えるのではないでしょうか。
さて、ここで原点に立ち返りましょう。「やる気」の出番です。
私は先ほど「やる気」を「やるべきことに前向きに取り組む心持ち」として定義しました。これはまさに、ここまでの文脈で言えば「努力するためのモチベーションを重視する」という心持ちに言い換えられるのではないでしょうか。もう少し丁寧に説明すると、「努力」という進歩のために必要な営みをするにあたって、それに伴うコストばかり考えるのではなく、その先にある「より充実した人生」という究極のモチベーションを重視できるのはまさに「前向き」な姿勢と言えるでしょう。
このように考えれば、確かにやる気は必要だと思えてきませんか?
もちろん反論の余地はあります。コストに目を瞑ってまで努力することを選択する理由には、モチベーション以外にも世間体や生存などの現実的なものも実際にはあるでしょう。したがってもとの命題は必ず正しいと言い切れるわけではありません。 それでも、より充実した人生のために努力をするという素晴らしい選択をしているあなたの背中を押す議論になっていれば幸いです。
最後になりますが、このような議論を踏まえると「努力をする」のは決して簡単なことではないように思えてきます。それでも努力をする選択をしているあなたが、「やる気」の重要性を再認識してもう少し頑張れるきっかけになれば嬉しく思います。ぜひ一緒に頑張りましょう。
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